|
休日、平穏そのものの午睡…そこから、なにやら直感で目覚め、遠藤はとりあえずシャワーを浴びる。 湯を浴びている間は気配は消えるが、タオルで頭の水分をがしがしと乱暴に拭き取り、少々落ち着いた頃には、その気配は確実に自分の元へ近づいている。数ヶ月前別れ、再び会うことを望み続けた人の気配。 それはエントランスのオートロックのあたりで一時留まり、マンションの住人の後について入ってくる…以前はそんなことはわかるはずもなかったのに、己の体は確実に変調していた。 人の休日にアポなしで押しかけるヤツが悪いと、遠藤はバスローブ一枚に首にタオルを引っ掛けた姿でドアを開ける。 そこにはベルを押そうと構えて、いきなり不意をつかれたカイジが、びっくり顔で立っていた。 シングルソファーでどっかりとくつろぐ遠藤と、来客用のトリプルソファーの隅っこで小さくなっているカイジ。叔父にこづかいの無心に来た甥…という構図に見えなくもない。 「…で?人んち訪ねる時は事前に連絡するとか、そういう常識以前にまず、人様のウチに入ったら、まず帽子を脱ぐって礼儀をならわんのか?イマドキの若いモンは」 『人に説教垂れる前に、まず自分が服を着ろ』という、気まずさをごまかす強気な切り替えしを予測していたが、カイジはなぜか泣きそうな顔でうつむき、ざっくりとしたニット帽をしぶしぶ取りかけて…また勢いよくかぶってしまった。しかも今度は、手で頭をかばっている。どうやら見せたくないものがあるらしい。 隠されれば見たくなるのが人情。 廻りこむのももどかしく、テーブルをまたいでカイジの横に座ると遠藤は、やだバカやめろと暴れるカイジから、無理矢理帽子を剥ぎ取った。 「……っ」 遠藤、絶句である。 往生際悪く頭を隠すカイジの手の隙間から、なにやら動物の耳らしき茶色いものが覗いていた。 「で?」 「……」 聞かなくともなんとなく想像がつく用件だが、久方ぶりに会った想い人を困らせるのはちょっと楽しいので、あえて不機嫌に、簡潔に問うてみる。苛立ちの演出にタバコをふかしてみせるのも効果的だが、現在タバコを受け付けない体質の遠藤は、それができなくて心の中で舌打ちをした。 カイジはすっかり困り果て、手で耳を隠すことをあきらめたが、太腿の上で帽子をぎゅっと握り締め、こぶしを小刻みに震わせている。新たにできたもう一組の耳までなにやらうなだれて見えるのが可愛らしい。 犬かね?それも秋田犬っぽい…そんなことを思いながら、遠藤はカイジをからかう。 「…なんか、ずいぶん可愛らしいの、つけてるじゃねぇか?無担保で借金の申し込みは心苦しいから、殊勝にも、いかがわしいサービスでもしてくれる気になったのか?」 「そんなんじゃないっ!」 カイジは涙目で怒鳴る。 「昨日、朝起きたらいきなり生えてたんだっ!…なんで俺ばっかり、いっつもヘンな目に遭うんだよぉっ!」 「…お前ばっかりが理不尽な目に遭う世の中じゃねぇが、まぁ、それにぶち当たる確率は多いことは認めてやるさ。で?聴力が二倍になったりとかはないのか?」 「今んとこ、それはない…と思う。なぁ…どうにかならないかな?みっともなくて外、歩けねぇよ」 「どうにかってことは、やっぱその可愛いお耳をとっちまいたいってことか。もったいない…まぁどの道、俺んとこに来るってことは、金だろ?金」 「それと医者だっ。あんたなら闇でも腕のいい外科医とか誰か知ってるだろ?つーか、帝愛グループの陰謀じゃないのか、これ」 「あの爺さんなら、お前さんに対してならやりかねんけどな。まぁとりあえず服脱げ」 「はぁ?」 「お前、自分の背中まで見えんだろ?実は背中は獣毛びっしりだったらどうするんだ?」 「うっ…い、いや、でもそれはない。昨日風呂入ったとき、そんな感触なかったし」 「でも耳が、昨日の朝起きたらいきなり生えてたんなら、実は今も進行してるってことも、ないとは限らんさ。なんかの進行性の病気だったら、外科手術で耳を取るだけじゃ済まないだろう?紹介してやる医者の種類も変わってくる。普通の医者じゃ嫌なんだろう?さあ」 「ああっ、もう、自分で脱ぐから、自分で」 セーターに手をかけた遠藤を制し、カイジはしぶしぶ服を脱ぐ。別に銭湯やらでは服を脱ぐのに躊躇するタイプではないが、一度性的な関係を持った相手の前だからか、それとも遠藤の言ったような、体の変調に対する不安なのか、日常的な所作なのに、やけに時間がかかってしまう。ついでに、心配そうな顔をしつつも、どことなくにやけてるように見える遠藤の様子が、カイジには気に食わない。 脱いだぞと、カイジは遠藤に背中を向ける。遠藤はひたっと、その背に手を這わせ、満遍なくたどっていく。ヘンな声を出しそうになり、カイジはくちびるを噛んで、必死でこらえた。 「良かったな。とりあえず背中はなんともない…でもなぁ…」 「な…なんだよ」 背筋がざわり…言葉の先はわかりきってるような気が、それでも問わずにはいられない。 「ズボンのケツんとこ、膨らんでるんだよなぁ…」 「ば…馬鹿言えっ」 「じゃぁ脱いでみろ。なんともなかったら俺も安心できるってもんだ」 「やだ、自分でトイレで確認するからっ…って、やめろよっ」 カイジに逃げられる前に、遠藤はすでにジーンズの前に手をかけていた。 どうして前立ての部分がチャックじゃないのかねぇ?面倒くさい…などと、思いつつもやけに手際がいい。一枚づつ脱がすのももどかしく、下着ごと引きおろすと、遠藤は「おっ」と声をあげた。 「ふさふさ…」 「え?」 「だから、ふさふさ。秋田犬決定。よかったなぁ?パピヨンの耳とか、お前、似合いそうにないし」 「もう、そんなことなんだっていいから、早く服、着せてくれよ」 カイジはもう、泣きたいやら、情けないやら、怒りたいやらで、感情がぐるぐる渦を巻いている。裸にされた羞恥心もあるが、ともかく、耳以外にも進行してしまったケダモノの証をとりあえず隠したくてたまらない。 遠藤はなにを思ったか、いきなり尻尾をぎゅっと力強く掴んだ。 カイジはギャアともグウともつかない、珍妙な声をあげ、顔をゆがめる。 「犬ってホントに尻尾が敏感なんだなぁ…俺の用件は済んでねぇぞ?カイジ」 「えっ?」 「低利子無担保、その上、人に言えない用件のお医者様の仲介…無論お前だって、タダで済むとは思ってないだろうが。…わかるだろう?」 わかるがわからないことにしたい。 「ヤダって、このヘンタイっ、ケダモノっ!」 「ケダモノ…ねぇ?ケダモノにケダモノって言われちゃあ、もっとケダモノらしく振舞ってやらないとな」 やけに楽しげにそんなことをうそぶくと、遠藤は、尻尾を強く引っ張ると、そのままカイジをソファーの上に引き倒し背後から組み敷く。そして、犬のほうの耳を噛んだ。 「痛いって。やめてくれよ、頼むから」 「ちゃんと神経来てるんじゃねぇか。ちょん切ったらどうなるのかね?」 「とりあえず死にはしねぇよっ…だいたい、耳が4つある人間なんかいない」 「まぁ人間の方の耳も、一回てめーで落としたバカがいうんだから、死にゃあしねぇだろうがな。じゃあ、俺が噛み切ってやるか」 「ヘンなこと、ゆーなよ…だいたい、やめろよ。こんなの…」 「なに言ってんだか。わざわざ出かける前にシャワー使ってくるぐれぇなんだから、ホントはその気だったんだろう?」 「なんでそんなこと…」 その気うんぬんはさておき、風呂に入ってきたことを当てられ、カイジは驚く。 「そんなこと、匂いでわかるさ」 抵抗はされるが、耳や尻尾が生えたところで、狼男のように筋力が上がるというわけではなく、むしろ以前より与しやすい。遠藤は何かに気づき、カイジの首筋に甘く歯を立てた。 「ああっ…」 甘い疼きと、自分に噛み付いてきた相手に服従してしまいたいような、わけのわからない欲求がカイジの中に芽生えている。否定し、抵抗したいのに、体が言うことを聞かない。 「ちょこっとは犬の本能みたいなモンが目覚めてるんだろうな。ご主人様の言うこと聞きたくて、うずうずしてるだろ?」 「誰…が、ご主人様だよっ」 「俺がご主人様だ。ご主人様が嫌なら、ボスって言い換えてやってもいいがな。犬ってのは自分より上位なヤツに従っちまう本能があるらしいから、お前の人間の理性は嫌がっても、生き物なんて本能のが強いんだよ…楽になっちまえ、なぁ」 一度知った体だからか、愛撫はやけに的確。くちづけの代わりにやたら甘噛みしてくるのは、獣のマウンティングになぞらえてでもいるらしい。 「やだっ!…伝染る病気だったらどうするんだよっ…遠藤さんに伝染ったら、俺…」 認めたくなくとも、自分の尻尾はなにやらパタパタ動いてて、もうなにをされてもうれしい状態。これ以上のこともwelcomeであるらしい。だが、動物の愛情表現にしたがえば、自分が好意を抱いている人に奇病を感染させることにもなりかねない。事態の悪化を招くことをカイジは危惧した。 「ほぉ〜っ、お前は俺以外に、へんてこな病気が伝染るようなことをしたと?」 「ちがっ…そんなこと、してな…」 「ならいいじゃねぇか。どうせなら俺に伝染しちまいな。一人が寂しくても二人なら、なんとかならぁな」 「やだ、遠藤さん、や…」 言葉と理性、そんなものとは裏腹に、体は遠藤が受け入れやすい姿勢を取っている。遠藤の太い楔を体内に受け入れたとき、もう無理はしなくていいのだと安堵して、カイジは我知らず涙した。 さて、種明かしはどこでしてやればいいのかね? 実際のところ彼もわかっているわけではないが、カイジより少しは物事が見えている遠藤は、そんなことを思いつつ、カイジの匂いと自分の匂いが空気中で混ざり合い、ひとつになっていくような感覚を、今は楽しむことにする。 ケダモノの本能に従って行動するのは、とにかく心地よい。 さてと、どこから説明してやればいいかね? カイジをベッドに運び、その傍らに座って、遠藤は新聞を広げる。 遠藤も実際に耳と尻尾が生えている様を見たのは、カイジが初めてだったが、しばらく前から噂はあった。 回収不能の多重債務者が消える理由としての噂のバリエーションに、『獣化』というものが増えていたのだ。最初はバカにしていたが、実際、帝愛に人身御供として捧げる若者は捕まらなくなり、本人にたどり着く前に親が出てきて、なにが何でも金で解決していく。金融業者としてはそれはそれでありがたいことではあったが、なにやら気になりだし…そうこうしてる間に、自分の体質も変わり始め…ふと、いつも見ている新聞の情報が、なにやら変わってきていることに気づく。 新聞には『奇病』の報告例が載っているわけではないが、ひとつの目安となるものはあった。 株価の動向。 生肉業界はとにかく絶好調。そして、ここのところ、ペットそのものの需要はかなり減ってきているというのに、ペットフード…とりわけドッグフードを取り扱う会社の株価が急騰している。また、かねてから禁煙ムードは強かったものの、タバコの消費がさらに激減し、タバコ産業は上場廃止…自然の動物の本能に従うなら、そんな健康に悪いものは、誰だって口にしなくなる。 別に株価を見なくとも、普通のニュース欄でも充分その傾向は見て取れるが。全国どこのメイド喫茶でも、やけにリアルな動物のつけ耳と尻尾が衣装につくようになり、そのつけ耳と尻尾のセットが、マニア以外にも飛ぶように売れ、ごくごく一部だが、その格好のままうろうろする女の子も出てきているようだ。そんな消費動向とはうらはらに、若年層の引きこもりは激化。容姿に自信のあるものは擬態で外に出て行き、容姿に自信のないものは閉じこもってしまう。もしくは、家人から閉じ込められているのかもしれない。 とりあえず若いもんは見た目から、ある程度年をとってくると内側から、犬なのかともかく獣化しつつあるらしい…乱暴なこじつけとでも言われてしまえばそれまでだが。 カイジに自分に伝染しちまえと言った遠藤もまた、実のところ、外見上は何の変化も見られないものの、異様に嗅覚が発達し、味覚も変化しつつある…これが病というのなら、間違いなく遠藤もキャリアだった。 もし金が紙切れ以下になっちまったら、あの爺さんはどうするのかね? ふと、シミだらけの思い出すだけで本来不快になる顔を思い出し、遠藤はちょっと愉快な気分になる。これが地球規模で起こってる現象で、さらに人間がケモノになってゆくのなら、本当に金なぞ役に立たなくなり、自然の原則に則れば弱いものから順に…年寄り子供から順に消えてゆく。それがわからぬ兵藤ではあるまい…今まさに、悪あがきをしてる最中かと思うと、それはそれで面白い。 カイジの髪に触れ、頭を撫でる。 もしこれが進行して、すべての人間がケモノになるのなら、お前の復讐は『時代』が自然にやってくれるだろう。 「俺としては、このくらいで止まっといてくれたほうがうれしいんだがね」 パートナーとは変貌のスピードが同じであるほうが望ましいが、そもそも変貌は途中で止まるものなのか、それとも本当に犬になるまで止まらぬのか、それは一部の者しか…いや、一部の者にもきっとわからない。 なんとなく情事の後のけだるさで、習慣的にサイドテーブルのタバコに手を伸ばし、火をつけた遠藤であるが、鼻を突く匂いに苦虫を潰したような顔をして、一口で握りつぶすハメになる。 酒はまだ大丈夫かね? 耳が生えても聴力はなんともないカイジは、おそらくまだ大丈夫だろう。 人の世の楽しみにまだ未練のある遠藤は、カイジと味覚の楽しみを共有しようと、彼が起きる前に買い物に出ることにする。 何日か、赤い首輪つけて飼われてくれねぇかなぁ…と、罪深い人の欲望を抱えて外へ踏み出し、見上げた空は、一つの種が滅びる前兆としては、やけに爽やかな青だった。 |